「ロイド眼鏡に燕尾服 泣いたら燕が笑うだろう 涙出たときゃ空をみる サンドイッチマン サンドイッチマン…」
繁華街でおどけてみせるサンドイッチマンを歌ったこの昭和のヒット曲「街のサンドイッチマン」。作詞者・宮川哲夫はもとは出身地大島町の小学校教師。その後町田の小学校に、さらに昭和27年世田谷小学校に転任する。「街のサンドイッチマン」は昭和28年世田谷小学校時代の作品だ。
都市の片隅で生きる人々の悲哀や貧しさを歌った彼の詞は、その後も鶴田浩二や宮城まり子に歌われるなどして数々のヒット曲を生み出す。特に宮城まり子が恵まれない子供たちに目が向くようになって「ねむの木学園」構 想につながったのは宮川哲夫の作詞がきっかけになったといわれる。
では「街のサンドイッチマン」の、その作詞が生み出されるに至った背景は何だったのか。
本展は宮川哲夫が遺した数々の作品を取り上げる初の展覧会です。
まさに“歌は世につれ世は歌につれ”を絵にかいたような宮川哲夫の人生。1974年52歳でその生涯を閉じるまで作詞を続けた宮川哲夫が「街のサンドイッチマン」の詞に込めた想いとは?
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