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![]() 古くは平安時代の木賊から始まり、小正月の1月15日または14日に行われる大祭。本来は、供物(くもつ)を焼き上げ、新年の祈祷を捧げる行事だったらしく、サイトウ、サギッチョ、ホッケンギョ、サギチョウ(左義長)と、呼び名も地域によって多彩である。それらはドンドと呼ぶのも同じく囃子詞(はやしことば)に由来するという。 民間では、子供を中心に小屋(竹を主材料に円錐状に組み、周りをわらや萱で覆った。)を造って生活する習慣を引きずる場合もあり、各々の家からお正月のお飾りダルマ、しめ縄などを持ち寄って結び付け、日祭りをした。小屋の中では、前日昼間子供たちが餅を焼いて食べたり、夜になると、大人たちが囲炉裏(いろり)の鍋を囲み酒を酌み交わして朝がくるまで小屋を守ろ樂しい祭りであったという。 狛江では、この祭りが小屋の中に丸い石を祀(まつ)る道祖神信仰と結びついたセーノカミと呼んで、戦前まで広く残っていたが、戦後は、一時現在の体育館の地や駒井町先の多摩川で行われていたという。 昭和61年ボーイスカウト狛江第1団が小足立児重グランドで野営行事を兼ねてどんど焼を行ったのが好評を博し、翌年から市内に籍を置くスカウトの連絡協議会主催で挙行してきた。 平成4年になると、場所を多摩川河川敷に移し、地元の和泉多摩川商店街振興組合の協賛を得て実施している。 野外活動が基本のボーイスカウト活動とこのセーノ神の伝承行事とは相通じ合うものがあるようで、旧年12月スカウト達は近くの多摩川で萱刈りの汗を流し、明けて新年に小屋作りをして準備が整う。そして、野外で調理したものを食べながら火祭りを迎える。 「自然の恵みの尊さを大人が子供達に遺せてやることのできる社会教育の一環と考え、今後とも市民の皆様共々『どんど焼き』を大切に育ててまいりたいと願っております。」
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