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NPO法人日本耐震防災事業団理事長小口悦央さん |
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小口 悦央(こぐちえつお)さん
NPO法人
日本耐震防災事業団理事長
板橋区防災懇談会委員
一級建築施工管理技士 |
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「地震対策の切り札 耐震施工住宅が地震による被害を抑える」
1995年1月17日の早朝、テレビから神戸が大きな地震に見舞われた様子が映し出され、時間の経過とともに報じられる被害状況もどんどん深刻なものになっていました。家内が神戸出身で、義理の兄が西ノ宮に住んでいたので、何度も電話をしましたが、連絡がとれません。
「お父さん、行ってきて!」という家内の頼みを受けて、3日後、自家用車で神戸に向かいました。高速道路を宝塚インターで降りて武庫川沿いに西ノ宮に下っていく道すがら、目に入ってくるのは、倒壊した建物ばかりでした。
「どうしてこんなに家が潰れているのだろう」と悪夢でも見ているような感じで、これまで経験したことがないほど、心臓がドキドキしたのを昨日のことのように覚えています。
翌朝、義兄の家に行ってみると建物は斜めに倒れていて、人がいる気配はありません。尋ねまわって、避難所になっている中学校で、兄の家族と再会を果たすことができました。幸いにして、全員無事でした。
しばらくして、どうやら落ちついてきたところで、兄の家をどうするかということになりましたが、倒れた家を起こして修理することは断念せざるを得ず、半地下式の3階建て住宅を新たに建てることになりました。そのためだけに、東京から資材を持ち込んで、建築工事を始めたのですが、その様子を見ていた近隣の人たちから次々と相談されることになります。結局、2年半で23棟も引き受けることになるのですが、それだけの数になるとどうしても現地に常駐しなければなりません。東京から連れていった社員たちにとっては、たまったものではなかったのでしょう。ひとり、またひとりと辞めて東京に戻ってしまいました。東京の事務所を閉鎖して、神戸の大手不動産業者の子会社の役員として復興住宅を建築する仕事を続けたのです。
そこまでのめり込んでしまったのは、こんなことがあったからです。長田区で復興住宅の依頼があり、その上棟式で、施主のご主人がまともにあいさつの口上を述べることができず、私の手を握って、涙を流しながら「どうか、潰れない家を建てて下さい。」とだけ、おっしゃったのです。そのお宅では、地震で家が倒壊し、小学5年生の女の子をなくされていたのです。私は使命感のようなものに突き動かされて、次々に家を建て続けましたが、頭の中ではいつも「倒れない家、潰れない家」という声がこだましていたのです。
しかし、被災地の復興はきれいごとばかりではありませんでした。家を失ったばかりか、仕事を失った人も大勢いたのです。そして、家を建て直したけれど、その代金が払えないというケースも続発し、万策尽きて、私は神戸を後にしました。
東京に戻ってきても、すぐ仕事が再開できるわけでもなく、荒川に出かけて鯉つりをして過ごしました。流れに浮かぶウキを茫漠とした気持ちで眺めながら、私の頭に浮かんでくるのは、「倒れない家、潰れない家」というフレーズでした。新築の家は耐震構造で建てるわけですが、阪神淡路大震災で倒壊した家屋は古い木造住宅がほとんどで、また大きな地震がおきたら、倒壊した家屋の下敷きになって命を落とす人がたくさん出てしまいます。「耐震補強」こそ、私がこれから取りかからなければならない使命なのではないかと気づいたのです。
既存の木造住宅を耐震構造にするためにはどうしたら良いか、従来にない方法でできるだけ安くできないかと考え続けた末に、「外付け方式の耐震補強金物・DSG」を開発しました。その普及のために思い切って社員を募集することにしましたが、応募してきてくれたのは60歳過ぎの中高年二人でした。私はこれも縁だからと一緒に仕事をしてもらうことにしたのですが、その二人が事業の発展に大きく寄与してくれることになるのです。
まず、おひとりからはいとこが働いているからと鹿島建設を、もうひとりからは早稲田大学の建築学科の教授をご紹介いただいたのです。そのおかげで、DSGの耐震実験にご協力をいただき、その耐震性を磐石なものにすることができました。DSGをつけた家屋は、震度6強の地震に相当する揺れを与えられても倒壊しないことが明らかになったのです。
その後、建設省に認可してもらえないかと何度か足を運んだのですが、「一企業がきてもだめ」とつれない返事をもらうばかり、途方にくれている姿をあわれと思っていただいのか、「NPO法人にしてみたら」というアドバイスをいただいたのです。私は早速、知り合いの建築士仲間に声をかけたところ、十数人が呼応して立ち上げに参加してくれたのです。
以来、いくつもの工事をこなすことになるのですが、印象に残っているのが、栃木県の郵便局の耐震補強工事です。そちらの責任者の方は、7年間にわたって効果的な耐震工事を探していて、インターネットで耐震防災事業団のホームページを探し出して、ご連絡をいただいたのです。実は、郵便局の耐震補強工事には郵政省から補助金が出るので、その対象になるようなしっかりした工事をしたかったとのことでした。
早速、宇都宮に出向いて名刺交換をしたところ、私の名前「小口」を見て、驚かれ、昔、同名の「小口さん」に大変お世話になったとおっしゃって、たちまち旧来の友人のようになったのです。不思議なご縁が功を奏してか、DSGの耐震補強工事を申請していただいたところ、助成金の対象として認められ、着工に至ったのです。
財団法人日本建築防災協会で、外付け補強金物部門では最上位にランクされたDSGでしたが、私は耐震補強工事を普及するためには、それまで大工さんの経験に頼っていた木造建物の耐震性の判断を、きちんとした構造計算による耐震診断にしなければならないと考え、「耐震プランナー」という資格者を養成することにしたのです。これまでにその資格を取得した人は800名に達しています。
東京には耐震補強が必要と考えられる古い木造住宅は100万戸あるとされており、そろそろ危ないのではといわれている大地震がおそったら、倒壊した建物の下敷きになったり、倒壊家屋からの火災で7,000人が命を落とすと予測されています。
「最低限、命だけは守る」ということを前提にすれば、それほど大掛かりで施工費が高い工事をしなくても、外づけの耐震金具をつけるだけで十分な効果が期待できます。一軒でも多くのお宅にDSGをつけていただき、ひとりでも多くの命が守れればと願ってやみません。
(From Success Career Academy )
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