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「ゴースト・ライター」 (作者・尾久田 露文のことば) |
「ある映画から」
モスクワで 『彼の妻の日記』 という映画を観た。亡命ロシア人作家、イワン・ブーニンの晩年を彼の妻ヴェーラの日記を通して描いたものだ。
フランスから眺める祖国の運命、夫のノーベル賞受賞、若い女流詩人との三角関係。その筋に何も目新しいものはないのに、繰り広げられる生活の風景に戦慄した。
老作家、その妻、作家の愛人である女流詩人、彼等を取り囲む人々、それぞれの生が決して溶け合うことなく独立した流れを流れていく。それはまるで、壊れた蓄音機にステップを乱された
「狂ったワルツ」 を思わせた。
「彼の妻」 の悲劇は三角関係にでも、祖国の喪失にでもなく、
「彼」 にある。こんなにも長い時間をともにし、こんなにも近くにある夫の、根源的な他者性なのだ。
どんなに近づこうとしても、どんなに一致しようとしても、彼の中では
「私」 にはわからない何かが動いている。
「私がこの日記をつけるのは、狂わないためだ」。映画の冒頭で彼女はそう語っている。
『ゴースト・ライター』のもととなる着想は、この
「狂わないために日記をつける女」 からきている。
出演者に出会うことで個々の人物の輪郭が見えてくる。
そして肉付けされた人物の間からもう一つの
「狂ったワルツ」 が流れ始める…。
尾久田
露文
『ゴースト・ライター』公演概要⇒
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