下町瓦版 『下町タイムス』 今泉清さん(写真)逝く
   「今泉清さんを偲ぶ会」実行委員会 呼びかけ人(46名)代表 吉村平吉

 今泉清逝く――それは突然の訃報だった。
 日頃、多くの旧友 ・知人から 「今ちゃん」 の愛称で親しまれ、私たちを魅了してやまなかった下町の顔、下町の名物男、下町タイムスの今泉清代表が逝った。
 8月 20日の黄昏どき、秋立つ風と共に、誰にも別れを告げず、独り彼岸へ旅立ってしまった。
 「人生は一場のドラマである」とはよく言われるが、古くから彼を知る人たちにとって、それは実に多彩で波瀾に充ちた生涯であり、奔放不羈に自己を演じ切った一生であったと云えよう。
 いま、今泉清の活動の軌跡を俯瞰してみるとき、その前半生は労働運動・社会運動に彩られ、それは生まれ落ちたときからの活動家とも云えるほどの創造力と行動力に支えられたものであった。
 そのきらめく発想と説得力は周囲を席捲し、斯界の大家や多くの先輩活動家をも瞠目させずにはおかなかった。
 そして後半生。人生の折返し点に立った彼が、それほど激しい気迫と情熱を傾けていた運動から一転して、地道な (と思える)下町の伝統、風俗、文化の発掘者・伝導者となり、下町タイムス紙を媒体に、倦むことなく活動を続け、奇禍に遭う直前まで心身を蕩尽しつくしてかえりみなかった生涯は、まさに一個の華であり、これこそがきわめつけの 「男のドラマ」 であったと云えよう。
 だがしかし、天は時に残酷な試練の時をもたらす。晩年にいたり、彼は脳梗塞に冒された。まだ老化と云うには早すぎる年代で、どんなに無念の思いに苛まれたことであろうか。
 その闘病の過程で、時折、垣間見せるいきどおり、いらだちは、しばしば周囲をハッとさせることもあった。が、それも近年は深い諦観に沈潜したのか、実に柔和な願容を私たちに見せていた。
 その静謐に包まれた温顔の裏に潜む彼の心象風景とは、いかようなものであったろうか。
 はたしてそれは、深い深い闇にも似た、凄絶なる寂寥と孤独に包まれた世界であったろうか。しかし、その愛憎無限の世界からも、一瞬の奇禍が全てを空に帰せしめた。
 いま私たちは、ただただ彼の魂の永遠に安からんことを念じる。

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